昨日は横浜にある中国語教室に立ち寄り、広東語を学ぶつもりだったが、最終的には普通語の体験レッスンを受けて終わった。
最近、ふと思うのだが、要するに一番大事なことは、まず外国人に接することである。それは誰でも何でもよいのであるが、まず人に会って会話をする。そこから全てが始まっているのである。
これまで英語でのシャドーイングを3年近くやってきたが、これは要するに聞いた音を正確に口から出すという、ある意味の猿真似である。最初は音にのみ集中するので、単語などは一切分からなくても良い。ただ、人が話している内容を正確に、音として自分の中にレコーディングすることが大事である。
これは耳のセンサーで音を聞き取り、頭の中で音声を変換して、これを発声という身体動作に置き換える。発声した音は、次に再度自分の耳で聞きとり、発声と数秒前の聞き取りとの違いを訂正する流れである。
シャドーイングの弊害
最近、英語を聞くと反射的にリピートしてしまう癖がついてしまった。この癖は、頭の中で一時的に情報を保存し、その後意味を理解するためのタイムラグを作る役割を果たしているが、実際の会話の中でも反復していると、単なる変な人だと思われるかもしれない。(何事もやりすぎると弊害が生じる)
また実際には、シャドーイングばかりやっていても、自分で言いたいことを話す能力をつけなければ、会話が成り立たないことにも注意が必要だ。できれば、自分が外国人と話している状況を例文で作って、これを丸暗記した方が、スムーズに話す訓練につながるのかもしれない。
会話集の作成
最近はCHATGPTが便利だ。この手の会話を一人二役までこなしてくれて、それを音声として発声までしてくれる。最後に音声ファイルに吹き込んで、これを完全コピーしてしまえば、もう特定のシチュエーションでは、完全に会話に困らない(少なくとも、相手から見れば、完全にネイティブ張りにぺらっぺらと勘違いしてしまう)
要するに言葉なんて言うものは、そんな程度でも十分であって、あとはいろいろな人生経験を積む中でシチュエーションを拡張していけば良いだけである。もちろん、コツコツと基礎を積んでいくことも重要だと思うが、その場限りの会話をするだけなら、細かい部分はすっ飛ばしても問題ないと思う。
言語化の次のステップ
ある程度のシャドーイングと猿真似ができるようになったら次のステップに入る(ここまででも、最低1年以上はかかると思うが)
次のステップは相手の言語を書き文字として変換するプロセスに入る。どうして音声だけでは駄目なのかというと、英語でもアメリカとイギリスで違うように、同じ内容であっても音が変わってしまうからである。また、男性、女性の違いや声の特徴によって耳に入ってくる音声はそもそも違うのである。
書き文字にする意味というのは、まさに音声だけでは曖昧になりがちな部分を明確にするためであり、これにより理解が深まる。書き文字にすることで、正確な発音や意味の違いが把握できるようになり、さらに自分の表現力を高めることができる。これが、言語学習における次の重要なステップである。
書き文字にするには
この点では韓国語と英語に関しては、表音文字であるので有利である。一番良いのは、聞いた音から頭の中で文字に変換できること。これは作文能力に近いといえる。もちろん外国語の文字に置き換える能力がないのであれば、ここで登場するのが日本語への変換である。例えば、「apple」を「アップル」と書き記すことや、「computer」を「コンピュータ」と表記することが挙げられる。
ただし、これは後述する日本人の発音理解の根本的な問題で、やり方を間違えると別の言葉を生成してしまうので注意が必要である。
無理矢理に文字を当てはめてしまうと、違った発音になってしまう。願わくば、APPLEはアップルではなく、アポー、computerはコンピューターではなくコンピュラーとするのが理想である。
他にも代表的な例を以下に示す。
- Vegetable はベジタブルではなく、ヴェジェタブル。
- McDonald's はマクドナルドではなく、マクダーノルズ。
- Thank you はサンキューではなく、センキュー。
- Camera はカメラではなく、キャメラ。
- Vitamins はビタミンではなく、ヴァイタミンズ。
- Golf はゴルフではなく、ガルフ。
- Curtain はカーテンではなく、カートン。
- Stadium はスタジアムではなく、ステイディアム。
- Chocolate はチョコレートではなく、チャクレト。
できれば、このような形で実際の発音に近い音で、日本語の表記にねじ込むことが重要である。
思えば中国留学した時に、最初、教師の発生が全く分からず、ただただ呆然と時間を過ごすしかなかったときに、ノートに片っ端からカタカナで書き綴った経験が、今となっては言語学習の原点だったと気づく。あの時に耳に焼き付けた音が残っているから、今自分の中国語が、ほぼ癖のないネイティブの発音が身についたのだと思う。
このノウハウは、いろんな言語の勉強法にも当てはまるし、ある意味で効率の良い勉強なのではないかといまだに自負している。